堂々巡りはもうやめて・・・。
ここ数日文字を書く気持ちにならなかった。
言葉がない訳ではない。言葉はあふれていた。しかし年末からのある事柄私のこころの中にひっかかり書く気持ちにならなかった。
いつもその場面を思い描き、一体どうしたらよかったのか?と答えがわからないまま立ち尽くすのだった。
そうして何度もそのことに気持ちがつっかかり他の言葉を書く気持ちにさせなかったのだ。
中学生になった息子に勧めた本がある。
吉野源三郎の「君たちはどう生きるか」だ。
私が勧める本を読むことに、ことごとく反発する息子だが、休みのたびに読まざる得なくなる。夏休みの課題はエーリヒ・ケストナーの「飛ぶ教室」だった。
そしてそれは夏休みの課題図書となった。
そして今回の冬休みの課題は上記の本だった。
どうやら私と息子の国語の先生は読書の傾向が似ているようだ。
この「君たちはどう生きるか」はおとなの私たちが読んでも良質な本だと思わせる。80年も前に書かれたものとは思えないほど、みずみずしく私たちのこころに届く本だ。
主人公「コペル君」と周囲の間に起きる様々な出来事を通して、いろいろなことを教える。
そのなかで、コペル君のおかあさんがコペル君に語って聞かせる話がある。
石段を重い荷物を持って歩くおばあさんの荷物を持ってあげたがったなぜだかその親切を言い出すことができず、いつ言おうとずっとおばあさんの後ろを歩きながら考えていたこと。それが出来なくていつも思い出すほど後悔したこと、でもその後悔した思い出はおかあさんにとって必要なことだったと、その後悔があったから、
「(略)一生のうちに出あう一つ一つのできごとが、みんな一回かぎりのもので、二度とくりかえすことはないのだということも、(略)そのとき、そのときに、自分の中のきれいな心を、しっかりと生かしていかなければならない(略)」
そう思うのだとおかあさんはいう。だからそのおばあさんとの出来事で色んなことを識ることが出来たので決して後悔だけではないと言う。
コペル君のおかあさんの考え方はとても前向きだ。おかあさんの話を聞き、おじさんの手紙を読んで、コペル君はどうしても友達に謝らないとと考える。(なぜ友達に謝ることになったのかは本文を読んでほしい)
赦してくれなくてもいい。とにかく約束を破った自分が悪いのだと。
起きた事実は変えられない。しかし現在の自分の気持ちだけは変えることができる。
そう思うと少し勇気がでるのではないか!?
私も過去に縛られていてはいけないんだなぁと改めて感じた。
0コメント