神と魔の話

さて、神様という存在。


リーディングや「からだの声翻訳®」の話をしているとどうしても出てくるこのことば。


このブログを見てくれている人の中で、はすな先生を知らない人はこの神様というものをどのように思っているのだろうか⁉


誤解されないようにいうと、宗教ではない!!


宗教とは信じて救ってもらおうとするものだと私は考えている。


はすな先生のもとリーディングやからだの声を習う生徒の私達は神様は公平に全てみているけど、拝んでも助けてくれるとは思っていない。


苦労してそれぞれの課題(難儀に思っていること)を自ら乗り越えることをやっている姿をみて、知らず知らずに導いてくれる存在だと思っている。


神様とは、大元の神様がいる。

そこから始まる。

この宇宙も全てをつくったもの。

私たちがあずかり知らぬくらい大きな存在。
私たちの意識ではわからないもの。


全てをつくったものが、その下の神の世界を作り、神の中でも落ちていったものが魔界を作り、(作ったというより別れたのか)異次元に魔界を形成。
棲み分けをしている訳だが、魔物は人を操作しようと狙うもの。


今の人間は他の星からときているとはすな先生は古いブログの中で書いています。

進化論が主流の現代ではこれを読んで驚く人も多いと思いますが、リーディングでみえたものを伝え聞いている私たちはそうなんだと思うのみです。


少なくとも魔界があり、天界があるとうのはポエムの中の話だけではないだろうときっと思う人は多いでしょう。


なぜなら、人は神社に行くし、お天道様に顔向けできないことはしない

などという。


これはなぜでしょうか?

少なくともどこかで、与り知らぬものがあることを知っているからではないでしょうか?


魔界の中にいてもそこが嫌で人間になって修行するものがいたり、魔物に知らず知らずに操作される人もいる。


全てのもとになる神様は、なぜ魔界を残しているかといえば魔界にも意味があり、

魔の誘惑に負ける人の魂と、負けない魂がある。


人の魂はそうして篩にかけられるし、自分でその誘惑に負けない精神を育むために残している。


もともと、魔界の者たちは神の中でも下等な魂のものだから、人間より精神が高いので人間がどう思うのかもわかっている。


人の世は魔が差した

というように、至るところに誘惑があり(人間を操作しようと狙っているので)、


魔物が好むのは


自分だけ、という自己中心的な気持ち。


嫌うのは


謙虚なこころ。


こうしていつでも私たちは試されています。

気を付けていないと直ぐ取り込まれてしまいます。



神様たちというのも私たちが日本人だからと言って皆が日本の神様に守られているとは限らない。


私の神様はインドの神様らしい(リーディングをする私たちは無垢の丸玉を持つのだが、それを持っていると自分の神様が玉の中に入るのでそれをみて貰う。私の場合はふたごの神様)。

昔、魂をリーディングでみたときそれぞれグループ分けされて房にぶら下がったぶどうの様にみえたのだが、あのグループは魂のグループ。もしかしたらそれぞれの管轄の神様のグループなのか?と考えてみたりしている(ここは私の仮定)。


リーディングのビジョンはこうした神様に問いかけて対話することで解釈していく。

それぞれに一番理解しやすい形でみせてくれる。

私達はみせてくれる神様の気持ちになってみる、というのが何よりも難しく課題なのだ。


みえない、みせてくれない、という風に思わずポジティブに捉えていくことがリーディングをしていく中で大切なことだという。




扉を探して!「からだの声翻訳家®」鶴木マキ

「からだの声翻訳家®」鶴木マキです! こころとからだは繋がっていて、こころの不調がからだに出るという考え方を学びました。 こころは不思議なものです。誰もどこにこころがあるのかはっきりと説明はできないけれど、こころは確かにあると、人は思っています。 こころの不思議さを私なりに考えて見つめていきたいと思っています。

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