望むことはひとつに絞る

今日も先日のはすな先生とのお話を聞いての話。


神様はいつも私たちの真剣さをみているという。

それが昨日のブログの内容と繋がるがのですが、


ふたつのものを望んでもふたつとも得られることはないのだといいます。

また、どちらか一方が途中で軌道にのりそうだからそちらに途中から移動するというのもダメなようです。

うまくいかない時の保険をかけるということも真剣さに欠けるということ。


そこを考えて生活していくと中途半端に物事に対して行動していてはダメなんでしょうね。


この話を聞いていて耳が痛いなと思いました。

私はエッセイとリーディングと習っています。どちらも中途半端です。

どちらも自分に必要だと思っているので、ブログを通してリーディング・からだの声の話など書いていきたいのですが、それ以外の部分でも書くことは続けたい気持ちがあります。何よりも文章を書いている時がとても楽しいのです。

真剣に取り組むと言う時、私はどちらをとるのが本当なのだろう?と思います。

しかし、ものを考えてそれをことばに起こすことの楽しさというのは代えがたいものです。

文章にするのは、まだかたちになっていない自分の感情を文字で現すこと。

自分の無意識のこころの中のモヤモヤも文字にすることで、自分で自分の感情に気がつくことが出来るのです。

リーディングのビジョンをみる時は感動的なみせ方をしてくれる時があります。

先日「ことば」をみた時は感動的でした。

「ことば」はどれも完璧な美しさを保って均等に並んでいるようにみえました。

これはビジョンでしか表せない世界です。

ビジョンは各自に一番わかる形でみせてきます。

静かに神様に対して対話しているといえます。

神様を連呼すると何か宗教と勘違いする人もいるので、私達が、というか私の理解している神様、このビジョンをみせてくれる存在についてまた次回書いてみたいと思います。



扉を探して!「からだの声翻訳家®」鶴木マキ

「からだの声翻訳家®」鶴木マキです! こころとからだは繋がっていて、こころの不調がからだに出るという考え方を学びました。 こころは不思議なものです。誰もどこにこころがあるのかはっきりと説明はできないけれど、こころは確かにあると、人は思っています。 こころの不思議さを私なりに考えて見つめていきたいと思っています。

0コメント

  • 1000 / 1000