他者が喜ぶことをやりなさい

自己犠牲でなく相手のために動くこと。


はすな先生と話しているとよく出てくるキーワードといっていい。


自己犠牲というものは、一方的にエネルギーが吸いとられてくたくたになってしまう。
吸い取る方と吸いとられる方が出てくるから。

吸い取られる方も私がいないと、という気持ちでやる。吸い取る人がいることで自分の存在意義を見付けようとする。でもそれは正常ではない。そういうのは共依存という。


大人の関係はお互いがお互いのことを思いやること。それができる関係。
なかなか難しい。


今日仕事をしていてふと思った。
相手を思って仕事をするということは、相手に迷惑をかけないことなんだ、ということ。


私の場合なら、課長に書類のチェックをして貰う時、間違えがないように処理をすれば、課長のチェック時間も一度で済む。

しかし私が間違えていれば、さらに同じことを二度させることになり、時間の無駄になる。

それは相手の有益な時間を奪うこと。

申し訳ないと思う。


どうして間違えやすいのかといえば、私の中のどこかで、チェックが入るから大丈夫という甘い思いがあるからだろう。


自分でやったものは、自分で完璧にやってまわす、という意気込みでしないとミスする。甘い気持ちで仕事をしては、迷惑がかかる。大概がうっかりしたミス。

そのうっかりを甘く見ると訂正が重なり時間と労力の無駄使いが発生する。


だから自分の仕事は完璧な気持ちで臨まないと。そう今日改めて感じた。

何よりも相手に申し訳なく思ったから。



今の職場にいて、営業と工場の関係が悪いのは、工場の在庫管理が上手く行っていないからか。


担当一人の責任にしてしまう現場も悪ければ、言い訳ばかりしている担当者も悪い。

話を聞いていてその様に思った。


在庫数がちがっていた。それを作るには今年度中は無理だと生産管理する側は気がつけば、注文を入れている営業店所へ連絡をいれないとならないだろう。

仮予約的なもので、納期がまだはっきりしないから聞かれるまで言わないでいいと思っていたとしたら、生産管理側は自己中心的な考え方だろう。

営業店所の向こう側には客先がいある。


営業事務は納期を大きく取って仮予約を入れて作成して貰うつもりでいるのだから、頃合いをみて納期を聞いてくるのは分かっているだろう。


難しい事なら早めに謝って連絡を入れないと客に謝る方の気持ちにならないとならないのに。

予測していた納期近くなってきて、回答をもらうつもりで連絡をいれると、


できない。それを無理に生産に入れれば他のものが出来なくなる。


そういう。それが分かっているならなんでもっと早く連絡入れないの、そう営業側が怒っているのもわかる。

作成の注文予約を入れたのはひと月も前の話。

客にどう説明したらいいのか?


営業事務から聞いていて、とても気の毒になった。

せっかく大きな数量の注文が入っても製造できないなら話にならない。

ずいぶん前から納期予定をいれているのに出来ないなら早めに言ってよ、となるのは当たり前。


自分が客に説明する立場に工場側が誰も考えないのはどうしたらいいのだろうか?


相手の立場にたって考えることができれば、それが売り上げに繋がり、また注文が入るようになるのではないか?と予測できないののだろうか?


結局相手のことを思うことで行動すれば、それが会社の利益に繋がり自分の給与にも反映することになるのに。


売上を一千万増やすにはどうするか?

従業員ひとりひとりが、一千万の売り上げを増やすことを考えないとならない。

自分は営業じゃない、自分は経理だからとか、自分は生産だからとかそういうことではない。

会社の売り上げが伸びることをひとりひとりが考えて行けば結局相手の立場になって仕事をするようになるのだということなのだろう。


これはきっと何につけても同じこと。

人の為に行動する。それが一番物事が円滑に回っていくことなのだろう。


私のブログは人の為になっているのだろうか?自己満足にならないように注意しないとならない。

人の知りたいことを書いていかないとな、そう思う。(出来ているのか少し疑問だが、読み続けてくれる人がいる限り書いていきたいと思っている)

扉を探して!「からだの声翻訳家®」鶴木マキ

「からだの声翻訳家®」鶴木マキです! こころとからだは繋がっていて、こころの不調がからだに出るという考え方を学びました。 こころは不思議なものです。誰もどこにこころがあるのかはっきりと説明はできないけれど、こころは確かにあると、人は思っています。 こころの不思議さを私なりに考えて見つめていきたいと思っています。

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