リーディングレッスンでのこと
先日自分のリーディングレッスンがありました。
はすな先生はとてもお忙しいので
久しぶり
と言ってくださる。毎日沢山の方とお会いしている人はそういうのだと思う。
私のようにパターン化されていると同じ人と会う毎日で単調といえば単調なので、逆に先生に会いに行くことがひと月の目安になっているのかもしれない。
さて、いつもハツラツとなさっている先生を見て素晴らしいなと思っているわけだけど、それに比べて私はエッセイ講座から帰ってきて次の日にぐったりしていた。
会社でいつものようにパワーが出ない。
なぜなんだろうと思っていた。
前の日いつもと違うことをしたからだろうか⁉
いつもそんなこともないのだがなぜか疲れていた。
そのままの状態ではすな先生と会ったわけだが、私のビジョンの見えづらさから魂をみて貰った。
だんだんとまずい方向に行っていると感じていたが、案の定。
そして、今とても疲れていることもいい当てられてしまった。(全く話していないのだけれど)
「今ぐったりしてて、軽く鬱状態」
そうそう。マイナス思考バンバンだもんな。そりゃそうでしょう。
前にも言われたけど、自律神経の乱れで、やたらに疲れやすく感じるらしい。
やはりからだの疲れはこころから、でした。
みえてないのはきちんとみようとしないから。物事の表面しかみない。
「いいとこ取りをしている。自分のいいように解釈している。それは神様からのことばではない」
いつも言われていること。解釈はきちんとしないとならない。
自分の解釈を伝えてはならない。
リーディングが占いと違うのはそういうところだ。
リーディングでカウンセリングをするはすな先生は、自分のことばを伝えているわけではない。
自我でものをいってはならない。
それがリーディングの鉄則なのに私にはそれができていないからみえなくなる。
自分の解釈をビジョンに合わせろというから、みえているビジョンは正直に違うからみえなくなる。
本当は単純なこと。
みえないのは全て自分の解釈ができていないから。
自分の思っている通りかどうかはビジョンに尋ねるしかなく、それで消えれば違うから聞き直すしかない。
実はそのビジョンに尋ねている間というものが物凄く集中力を使うことなので、私などは集中力が続かないから早めに切り上げてこれでいいとお茶に濁すところがあるのだと自分で感じている。
だから不完全だしハッキリとしない。
ヒットしているのはたまたま当たっているだけといわれるのはそのためだろう。
まずい、ヤバい。そう思いながら、きちんとみていない。何事もだ。
リーディングのビジョンもそうだけど、人のことも。
私は表面的な見えている部分しかみていない。
相手の本質を見抜いていない。ことばの裏側をみていない。言われたままをそのまま受け入れているだけ。
それがリーディングのビジョンでも同じことをするから質問が浮かばずみえない。
全て自分を律していかないといけないこと。
こう言う話をされるとき、いつもは厳しい先生だが大変優しい。
なせなら私のあがきも焦りも全て分かるからなのだろう。
私に今厳しいことばで追いつめたところでますますマイナス思考に走るのがみえているのだろう。
ありがたいことだと思う。
私たち生徒を深く思ってくれているのが非常に分かるようになった近頃なんだが(かなり遅くスミマセン)
いかんせん、魂がまた黒く染まってしまっているので振り出しなんだという気持ちになる。
しかし、一度はよくなったわけで、悪い方向に戻りたくないならやるしかないのだと思う。
私の魂の話を初めて聞いたとき、自分で納得できた。
これは不思議なんだが、人と言うのは意識できてない自分の過去を聞いて何となくの分かるものなのかもしれない。
覚えていないがどこかで知っているのだ。
こうして生まれて生きることは、過去の清算と、魂基準で磨かれていくための修行なのだ。
過去の自分の業を今精算させられている、そう思う。
自分のしてきた仕打ちは形を変えて自分に返るのだと私は思う。
今回のレッスンで聞いたお話は私には非常に有意義な話だったので何回かに分けて書こうと思う。
きっと私だけでなく他の人にもにとっても必要なことばたちだから。
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