夢だったのかもしれない…
ここにこうしてたどり着きこのブログを読んでいただきありがとうございます。
私の習い事、リーディングの世界はとても深いです。
そしてもうひとつの習い事、文章を書くこと。このふたつを融合していきたい私がここにいます。
不思議なリーディングのこと、「からだの声翻訳®」のこと、師匠、笛野はすな氏から伺った話、それらを混ぜながら日常の出来事、考えたことをエッセイ風に書いていきたいと思っています。
先日、数年前に私の働く会社を退職した人と偶然あった。
その人が、私の乗り換える駅に住んでいるらしいのは、更に一年ほど前に、やはり偶然、路上で会ったから知ってはいたが、いくら偶然であっても、いくらその駅が私たちがそれぞれ使用する駅であっても二度も会うということは珍しすぎやしないだろうか⁉
人との出会いは偶然のようでありながら決まっている。
リーディングのはすな先生はそんなことを教えてくれる。
だとしたら私たちはどんな決め事で会わされているのだろうか。
もしかしたら、こうしてブログのネタにするために会わされただけかもしれない。
なぜなら二度目であっても私たちは連絡先も交わさず、一言二言の会話の後、それぞれ家路に急いだのだから。
それはまるでまたすぐ会える人との会話と変わらない。
「お久しぶり。どうしたの?」
「SDカード駅で落としちゃったんですよ。届いてないかと思って」
「それで落とし物扱い所に来たんだ」
たったそれだけであった。
しかしこの会話をして電車に乗った私はふと、
この会話っていつかどこかでしたような⁉
と思ってしまった。
夢の中だったのかもしれない。
夢とは選択されなかった人生だとリーディングでのレッスンで習ったが、もしかしたら、ほんの一瞬、些細なことがこうして夢として出てくるのかもしれない。
その考えはほんの少し私の気持ちを楽しい方向に傾かせたのだった。
これはきっと神様からのプレゼントなのかもしれない。
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