「神頼みで神様は助けてくれるでしょうか?」

神頼みするという話はあるけれど、神頼みで神様は助けてくれるでしょうか⁉

私は休みの天気のよい午前中はできるだけ氏神様にお参りをしますが、直接助けてもらったと思うことはない気がします。(罰当たりですみません)

後で、あぁこれって計らいなんだなぁとは思っても、直接なにか言って叶えてもらったことはないと思います。

なんで望みが直接叶えられないのか⁉と言うと、望みのなかには「欲」があるからではないかと思うのです。

「欲」を望み、叶えてくれるのは誰でしょうか⁉

昔から物語の中にも出ていますよね。

ゲーテの「ファースト」しかり、本来欲に目がくらめば魔界に引きずり込まれるところ。

(この話。だいたい神様が悪魔の口車にのること事態おかしい話だと私は思うのですが)

はなしがズレてしまいました!

人間とは欲の塊だから望みは誰しもあるのです。

欲の種類にもよりますが、欲があるのが悪いのではなくて、その欲望を達成するために神頼みすることが問題なのではないかと思います。

他力本願でなんでも叶えば楽かもしれないけど、楽なことばかり自分の都合ばかり叶う人生なんて、つまらなくはないでしょうか⁉

そしてそんな人生を送っていて私たちの魂の成長はあるのでしょうか⁉

私たちが物事に感動する、この感情。

やりとげた達成感を味わい、もっと先に行きたいと言うために、苦難をこなすように出来ているのではないでしょうか⁉

その苦難に向かう姿勢。そういうものを私たちのわからないような所から見守っているものが神様だとしたら。

自分で立ち向かっていかないとならないでしょう。

助けを望むなんて安直なことに☟を貸すはずはないと思えるでしょうか⁉

生きている意味を問うとき、必ずここに立ち返ります。

苦しいときに乗り越えていく考え方が出来ることはその精神を大きくしていくことなんだと思えるのです。



扉を探して!「からだの声翻訳家®」鶴木マキ

「からだの声翻訳家®」鶴木マキです! こころとからだは繋がっていて、こころの不調がからだに出るという考え方を学びました。 こころは不思議なものです。誰もどこにこころがあるのかはっきりと説明はできないけれど、こころは確かにあると、人は思っています。 こころの不思議さを私なりに考えて見つめていきたいと思っています。

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