リーディングのビジョンは思い込みではないですか?

昨日は休日でしたので、リーディングのグループレッスンを2コマ時間数出席することが出来ました。(幸せ♡)

つつみさんが4月から国際カウンセラー協会の社員となってくれたので、グループレッスンをメインで教えてくださいます。

なので、リーディングを習っていなくても(例えば私たちが教えることが出来る「からだの声翻訳家®」を習っている人であっても)このSkypeによるグループレッスンにはひと月最高20回見学という形で参加することが出来ます。

誰でもできるっていうけど、リーディングってどんな感じなんだろう?

と思う方は、まず他のものを試しに習いながら、実際のレッスン現場を(声だけですが)聴いてみるという方法をとるのもいいかもしれません。(「からだの声翻訳家®」はリーディングを習っていても役にたつものです。まず手始めにどうでしょうか?リーディング以外のものはテキストがほぼ18回で終わるよう出来ています)

私の様にフルタイムで平日働いていると、どうしても21時のレッスン以外で参加する機会は少ないのでどんなに頑張っても半分出席出来ればいいほうだと思っていますがそれでも以前に比べれば雲泥の差でレッスン参加の機会が増えました。ありがたいです。


さて、本日一回目のレッスンは参加人数も少なく(それとも昼間はいつもあんな感じなのかしら?)他の生徒さんからの質問を興味深く聞いていました。

曰く

「リーディングでみえているこのビジョンって自分の思い込みでみえているものじゃないのか?」

というものでした。(実はここまでしか記事が自動保存されてませんでした。何か書いてはいけないことを書いたらしい)

それ、分かるなぁと思いました。

私もよく、これは本当に自分の思い込みではないだろうか?と思いながらみています。ではどうして思い込みではないのかと言えば、

もし自分の頭の中で勝手に作り出していたとしたら、もっと自分に都合よく解釈できるようにみえるのではなかろうか?と思うのです。

自己を消し、みえるビジョンになりきるということはとても難しいので、全く分からないと感じる時の方が多く、だからきちんと解釈できているのだろうか?といつも不安になりながら答えています(余りそうは感じないでしょうが)。

ただいつも思っているのは、これは自分に分かるかたちにしてみせているのだから、

「わからない」と諦めず、一生懸命理解しようと思いながらみることなんだと思います。

みせているものが不鮮明で不確かなかたちでみせるのはむしろこちらがその次元に合わせて分かるくらいになれと言われている訳で、そういう自分になろうと思うことなのでしょう。つまり

「えー、わからない。もっとわかるようにみせてよ」とは思わない

のです。

これって実は日ごろの思考や態度もそうで、私は大変なジコチュー女だったので(過去形でいいのだろうか?出来れば過去形でありたい)他人のすることが、自分の都合に合わないと文句を言っていました(または不満に思ってました)。

相手がなぜそのような言動をするのか相手の立場になってみると同じ事象を違って捉えることが出来ます。

リーディングの解釈もそれと同じなのだなぁと近頃思います。


疑問に対しての答えになっているのか不安ではありますが、

みせてもらっている相手の気持ちになって(多分相手だって分からせようと必死なんだと思います)質問して答えまで導いて貰います。

せっかくみせてもらっているのだから、なるべく言いたい答えに導いてくれる質問をこちらは探そう、そう思ってビジョンと対話をするといいと思います。

当てようと思うのは自分のエゴです。それを前面に出すときっとリーディングの解釈は失敗します。

みえるものはなんなんだろう?

みせてもらっているから答えが知りたい。

そう思って探求して行けば、リーディングが楽しくなるのではないかと私は思っています。

扉を探して!「からだの声翻訳家®」鶴木マキ

「からだの声翻訳家®」鶴木マキです! こころとからだは繋がっていて、こころの不調がからだに出るという考え方を学びました。 こころは不思議なものです。誰もどこにこころがあるのかはっきりと説明はできないけれど、こころは確かにあると、人は思っています。 こころの不思議さを私なりに考えて見つめていきたいと思っています。

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