「からだの声(対話)」

  インフルエンザA型にかかった。予兆はあり、火曜の夜帰宅するとくしゃみと鼻水が出始めたのでこれはまずいとマスクをし日付が変わる頃就寝した。翌日は普通に調子が戻ったかに見えた。だがその週は全体的にからだが疲れていた。なんとなくいつもと違うと思いながら非常にしんどかった。年齢のせいかと思ったりもした。

  土曜日の午後、掃除・洗濯が終わった頃長男と言い合いをした。

「俺のアイホンのコード壊しただろ。充電できねーじゃないか!どーしてコード丸めるんだよ」

「掃除機かけるのに邪魔だったのよ。大切なものは自分の部屋で管理してよ。なんでもかんでも居間に置いて。何度言っても言うこと聞かない。鞄も問題集もここに置いておいたらみんな捨ててやる」

 そう言うと私はそこらにある息子たちのものを床に投げた。みんなゴミに出してやるといいながら・・・。息子は、ならパパのカメラだって置きっぱなしだろーがと言うので勢いあまり、これもいらない!と床に投げた。

「カメラ床に投げるとか馬鹿じゃん!」

 と息子に言われたがもう後には引けない私はその勢いのまま燃えないゴミにカメラを放り込んだ。これには息子も私の怒りの度合いが分かったらしく黙って自分の荷物を自分の部屋に置きにいった。それから四日後の本日、長男は性懲りもなくソファの上に赤本を置いて出かけているが、次男は何一つ置かない。

 さて話は戻るが長男とのいきさつの直後、ずっと体調が悪かったのがピークに来たのかもうこれ以上動けないと思った。

「お母さん、調子悪いから寝るわ」

 そう長男に告げ横になる。なんだが熱が上がって来た気がして測ってみる。三十八度六分。近頃こんなに体温が上がったことはなかった。明らかに病気だと思ったが横になり体力の回復を待てば乗り切れるのではないかと思った。横になったものの節々が痛くて眠れない。これではちっとも休めない。その晩は何度も寝返りを打ちながらまともに休めずに朝方やっと眠りについた。翌日も熱は高かったが眠れた。午後には平熱に下がったが悪寒がし、咳と頭痛がし始めた。普通の風邪であれば平熱に戻ればからだが楽になるはずだしこんなにつらい症状が出るものではないのではないか?そう思った。だとしたら私は何か大変なことをしでかしたのだろうか?気が付きなさいとからだが教えているのだろうか?そう思って聞いてみた。(以下からだの声との対話)


私:「からだの声さん、頭が痛いのですが、何か考え方が違うんでしょうか?咳込むんですけど何か言っちゃいけないこと言ってますか?」

からだの声:(以下K)「まぁ、息子との言い合いを思い返してみよ。そこに置いておいたのは確かに息子が悪かろう。しかし物の扱い方をみろ。お前のしていることは雑だしその結果言い合いに発展し、お前の夫の持ち物を捨てる必要があったのか?自分の良くない点は棚上げし相手に怒りをぶつける方法が果たして正しいと言えるのか?自分の言い分ばかり言っているから堰止められている(=言わない様にさせられている)とは考えられないのか?」

私:「すみません。息子のものを壊したのは確かに私が悪いです。扱いが雑でした。主人のカメラはもう古くて使わないから置きっぱなしにしていたのでしょうけど、それだってものにあたるのは良くないです。」

K:「そういうことを親のお前が子の前で見せていれば子供はそれを良しとすると考えられないか?親は子の前で恥ずかしくない態度を示さないとならない。人様のことを言う前に自分の行動をよく見よ。頭が痛い理由がわかったろう」


 言い訳も出来ないほど自分で知っていて気がつかない振りをしていたことだ。からだが私に気が付けと教える。それでもどうも調子が良くならないのでどうしたものか。


私:「からだの声さん、十分反省はしておりますが体調は良くならないのですが。まだ何かしていますか?」

K:「今はからだを休める時ぞ。だいたいからだが思うように動かぬ時は自分のキャパシティを超えていると覚えておくように。無理が出来ぬが生身のからだぞ。気持ちだけでは乗り切れぬ。自身のことをきちんと管理せずに人のことなど言ってはおれんだろう」


 からだの声のお蔭で翌日は会社を休み病院でインフルエンザの検査を受けた。熱が上がったからでまさか自分がかかったとは思っていなかった。会社にあのまま出ていたら私のせいで周囲に迷惑をかけるところだった。医師が言うには検査で陰性であってもインフルエンザでないとは言い切れないそうだ。インフルエンザは熱が下がってからまた違う症状で苦しむ。陰性でも自分のからだの調子をみながらもしそうなら疑ってみるのも良いかと思う。

扉を探して!「からだの声翻訳家®」鶴木マキ

「からだの声翻訳家®」鶴木マキです! こころとからだは繋がっていて、こころの不調がからだに出るという考え方を学びました。 こころは不思議なものです。誰もどこにこころがあるのかはっきりと説明はできないけれど、こころは確かにあると、人は思っています。 こころの不思議さを私なりに考えて見つめていきたいと思っています。

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