日々の感情を味わう。
職場のこと。
この頃とても楽しく過ごしている。
3年前の私が今こういうこころもちでいるようになるとは思いもしなかった。
周囲にも受け入れられていると思うし、周囲のそれぞれの人柄に慣れたし周囲が私に慣れたことも、もちろんあるけれど……。
仕事内容に慣れたこともあるけれど……それだけではない。
初めは今までの自分の仕事を全部捨てること、あたまの中を切り替えることから始めなければならなかった。
10年近くしていた仕事は学びながら慣れていった。スキルを徐々に上げたいった感覚もあり、仕事に対して誇りがあった。
社内の他ではやらない仕事なので、自分だけが分かっていたといっていい。
それは社内では異端である分孤独な作業だった。社内の誰とも仕事の内容で共感出来なかったから。
それでも他社の同じ職場の担当者と交流が出来、この仕事でなければ知り合う機会がなかったからラッキーな職場だと思っていた。
それらを全て捨てて次の職場に行くというのはとても辛い事だった。
初めて今の職場に来た時は仕事は全く接点がないので分からない。
長く会社に勤めていても直接個人と関わることがなかったので知らない人ばかり。
仕事を教えるのはベテランで全てを言うタイプではない。
暫くすると、質問をするのも怖くなってしまった。
仕事をひと通り習ったあたりで何か尋ねられると、全て自分が間違えているから聞かれているのかと思うようになってしまった。
かなりビビっていたと思う。
間違えは許されないと思うようになって仕事をするのが怖くなってしまっていた時期もある。
もちろん間違えない方がいいに決まっている。でも人間には完璧はない。間違えたなら正すことを覚え、次に同じ間違えをしないようにすればいい。
そう周囲みんな仕事を通して言わずとも考えていると今では感じている。だが当時の私は自分の中でいっぱいでそんな考えは及びもつかなかった。
ここまで続けることが出来たのはリーディングを習い、ものの見方を学んだ為だと思っている。
リーディングだけではなく、笛野はすな先生は人生の師なのだとだから私は思っている。
職場でこころが折れそうになった時、
人事異動は会社が決めたことでなく、神様が決めたこと。ここで学びなさいと言われているのだ
という考えることで辞めようと思う気持ちは無くなった。
人生は学びの連続だ。
いうのは簡単だけれどやり続けることは難しい。
なぜ難しくしているかといえば自分の感情がそうさせているのだ。
人は自分を守ろうとする。自分が壊れない為に何かのせい、誰かのせいにして逃げようとする。
しかし、逃げては次でも形を変えて同じ課題を出される。
テストで追試を受けるのと同じだ。
生れて生きることの意味は人生を通して学び続けること。
難しいこと、嫌なこと、苦しいことを目前にいつも出される。
色々な感情が起こるから辛いと感じるがそれをひとつづつ超えていく。
感情とは本当に不思議だ。そしてこれがあるから人間なのだ。
どんな感情も経験できることは素晴らしいのだ。生きていなければ経験できない。
だから辛いと思う感情から逃げてはいけない。向かっていかなければならない。存分に経験しなくてはならない。
必ず苦しいことから抜ける時が来ることをひとつの課題を乗り越える度に確信していく。
そのたびにこころが強くなっていく。
だから私は逃げない。
自分に甘く怠惰でいては弱くなる。自堕落になっていく。
だからもっと負荷をかけていかないとならないのだと自分に言い聞かせる。
そうして日々過ごしていくと超えていく。
課題に不要な人とは別れがある。
私に辛く当たっていた人はもうすぐいなくなる。今の私はその人のことをなんとも思わなくなっている。笑顔で送り出せるほどになっている。
こうして色々な経験をさせてくれたのはこの人がいたから。嫌な思いをした分、早く仕事を覚えようという気持ちにもなった。だから感謝もしている。
役割分担されている仕事はある程度のところは、チェックされなくても期限内に報告しても文句も言われなくなっている。気がつけば自動的に窓口となっている。
そういう仕事をもっとたくさん増やしていくことが今の私の楽しみにもなっている。
頼んでおけば黙っていてもやっておいてくれる、そう思われるような人になりたい。
周囲から必要とされる人になっていければいいな、そう思っている。
今、職場が嫌だと思っている人がいたら、もう少し頑張って続けて欲しいと思う。
辛いと思うのは実際自分がきちんと出来ていないせいではないか?どうしたら打破できるのか、周囲は本当はどう思って接しているのか?
もう一度考えてみて欲しい。
職場を辛くしているのは、周囲ではない。自分自身の感情がそうさせているだけなのだから。
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