「ワサビ」のエネルギー(グループ・レッスン)
私の入っている国際カウンセラー協会(詳しくは以下の「国際カウンセラー協会」から見て下さい)はリーディングはしなくても月24回(+α)までSkypeによるグループレッスンの見学ができます。勿論リーディングを習っている人はみんなと一緒に練習をする時間になります。
滝行からかえってから、素直なこころ、無心というものがどういうものか?というのをなんとなく感覚で掴んだ感じがしてます。
ただそんな気持ちになっているだけなのかもしれないのですが……。
なので、リーディングをしている最中もどこかで、
「いや、違うだろう?こうじゃないだろう?」
とは思わないで、今まさにリーディング中感じている感覚をそのまま受け止めようと思っています。
感覚を言葉に直すこと、これが本当に難しいと思います。
感覚は感覚としてしっかりと受け入れられているのに、なぜ言語能力とは限界があるんだろう?そんな風に思います。
それはやっぱり自分の脳内で会議が開かれて
「そんな言葉じゃないだろう?」
的な考えが浮かぶからでしょうか?思考というものは、なかなか厄介なものです。
今日はワサビのエネルギー、とても面白かったです。
おとなになってくると、子供の様に苦いものや辛いものが平気になってくる、それをおとなの味覚と思い込んでましたがリーディングを通すとそうではないと言う事が分かりました。
思えば、アルコールが大好きな人(子供はアルコールの例えばビールや日本酒などジュースの様に甘い訳でない飲み物)は、味覚は子供と同じではないと思います。
だけど、ワサビやからしの類は苦手で食べられないという人がいます。
だから、味覚が子供のままという訳ではないのだと私は思ってしまう……。
リーディングを通してみると、そういう性格なんだと教えている。
あぁ、だから食べられない訳だと納得する。
自分がリーディングした時に感じたものは、右の肺の辺りが痛く苦しくなるという。
肺といえば、「からだの声翻訳家®」的にはそこを悪くするのは素直ではないのだということへの注意。
自分の悪いことが認められる人は、やはり大人なんだろうなぁと思ったり。
ワサビを食べたいときはからだにそんな注意を受けている時だとリーディングで教えてくれたわけで、素直な人はそれほどワサビを必要としないのだろうと。
だから素直な子供のうちは食べる必要がない。
大人で嫌いな人も必要がないから食べないのか?というと、大人はあの辛みが嫌いだという人が食べないように感じる。辛くて食べられないというよりも。辛さは辛さで感じるが子供が嫌うような味覚の感覚とは違うのではないだろうか?
リーディングのビジョンからそんなふうに感じました。
リーディングはいつも不思議なビジョンから答えを導き出します。
興味がある方、ぜひご覧下さい↓
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