偶然はどんなものだろうか?

本日は月に一度のラボのレッスン日でした。

ラボというのは、この笛野はすな先生の講座のどれかひとつでも卒業した協会会員なら誰でも受けられる(聴講できる)Skypeでのはすな先生によるレッスンです。


今回は「偶然とはどんなものか?」

とうことで、リーディングでどのようにみえるかみてみました。


グループレッスン時より人数も多く、一度のリーディングでみたものを答えました。

自分のみえたものを後ほどの先生のお話と合わせて聞いていてなるほどと思ったことがあります。


私の偶然のビジョンは

Vの字がどんどん積み重なって下に下がっていきます。

それは集結して行っていつもみる繋がりのマーク(∞の縦になったもので、はじが開いています)になります。

そしてVの重なりはそのマークの上の部分になります。

繋がっている下は?と見ると逆Y字の逆Vの部分がいくつも線が入り、草木の根のような形をしています。

一点に向かって重なっていき、その一点の先はまた違う風に広がっていきます。


ここで、いつも繋がりのマークをみせる時、すんなりと∞の縦の記号をみせるのに、今回はV字が重なっていった先に繋がりのマークが出来たことに早くに注目したらよかったと思います。

自分のビジョンの話を終えてからいつもと違う点を聞かないとならなかったなと反省してました。

先生の話を聞いていて、偶然は物凄く精密な中で起きているもの。

人が偶然をおこそうとしても起きることではない。

それはやはり決められたことで、自分もそう行動したくなるように仕向けられている、ということでした。

10秒前には自分の行動は決まっていて、無意識にそれを知っているということでした


私のVの字をみた時、まるで秒針の動きのように、少しずつ下の一点に下がっていくようでした。

この動きで、繋がりが何を表すのか気がつかなかければならなかったのだなぁと思いました。

偶然をおこす一点に向かって人は動いていて、その偶然が起きた先はまた新しい分岐が広がります。(各自が動いているから)

きっとその広がった先もまた新たな一点(偶然)に向かって各自動くのではないだろうか?とビジョンを思い出し思いました。


そして、偶然と思う必然の中感情を修行するために私達はいるのだと言っていました。


本当にそうだと思います。

日々職場で修行させられていると思います。

相手のことをきちんと教えてくれないで嫌な人だなぁと思ってしまってはどうにもならないと思う近頃。

教わっていることを待つばかりでは仕事は覚えません。

探しても初めてでどこにあるかも分からない時分からないから教えて下さいと言わないと教えて貰えません。

でもそうした聞き方をして覚えて行かないと私がなかなか覚えないので、スパルタで早く覚えさせるためにあえて教えないと思っています。

私は将来、いえ2年先辞めてしまうだろう、支払い担当の主力の人物の代わりをさせられることになるのだろうと思います。

だから厳しい指導なのだと思います。

これは避けては通れないし、いやだからと逃げてもいられません。

運命は受け容れるしかないのだと思います。

受け容れて進むしかないのです。自分の感情はもうどうでもいいと思うようになってきました。早くゴールに向かわないとそのために早く仕事を理解しないとならない。

私は今その様に思っています。




自分を変えて行く、盛りだくさんなコースがいっぱい!!

扉を探して!「からだの声翻訳家®」鶴木マキ

「からだの声翻訳家®」鶴木マキです! こころとからだは繋がっていて、こころの不調がからだに出るという考え方を学びました。 こころは不思議なものです。誰もどこにこころがあるのかはっきりと説明はできないけれど、こころは確かにあると、人は思っています。 こころの不思議さを私なりに考えて見つめていきたいと思っています。

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