気の毒な人と決めているのは誰?


「こころ」というのは自分だけのものだとアルフレット・アドラーは言います。

他者との関係は
自分はこういうものだ
と分からせないと他者には伝わらないし、
相手からも伝わってこない
ということになります。
「こころ」が自分だけのことなので、トラウマも環境もなにも関係がない。
今が嫌だとなると、
それは自分の問題でしかなく
周囲はそれを変えることはできません。

だから他者を
「気の毒な人」「弱い立場の助ける存在」
と決めているのも自分でしかありません。
さて、完全なる「個人の尊厳」を謳うのがアドラー心理学です。



それでは「気の毒な人」を助けるにはどうしたらいいでしょうか?


それは相手が出来ることをさせる。
それ以上相手が望まないなら
そこまでだと区切って考える
ことだと思います。


人にはそれぞれの能力があり、努力することも能力のひとつだと私は思っています。
しかし、我慢できず逃げ出す人はできる人にはなりません。
それはそこまでの人なのです。
目の前にあることを投げ出す様な人に信頼が置けますか⁉
私なら見切りをつけるでしょう。


やってみて
限界なんです。
というのであれば本当に限界までやったのでしょう。
そのギリギリのできるところが自分のMAXだとわかって良かったね、となる。

頑張ればきっと良くなる、

とか
出来るようになる
と励まされて、その人はどう思うでしょうか?

そうかこのままでもいつか時期が来ればできる日もあるだろう。

そう思ったとしたら
そんなことは一生かかっても巡ってこないでしょう。


私は「頑張ればきっとよくなる、出来るようになる」

って何をかんばるのか?何が出来るのか?

とても無責任に聞こえます。


やる、やらないは「気の毒な人」自体が決めることで、決められないならいつまでもそこで停滞しているでしょう。
わたしにはそれは他者に甘えているとしかうつりません。
本人は苦しんでいる、頑張っていると言います。
それなら、MAX近く、少しでも越えられるところはないだろうか、
またはこれはできないけど
こちらならなんとかなる
という代替になる同レベルのものを提供できないだろうか?
そう考えられたらと思います。


そして行動してみる。継続してみる。
そうしてはじめてその人は変わるのだろう。
「気の毒な人」はこの考え方が出来ないから悩むし停滞する。
助けたいならそこを促すことだろう。
手を出すことでも目先のことを解決してあげることでもない。
甘やかしては相手のためにならない。


手を出す方は自分のエネルギーを吸い取られるだけ。
この場合の
ありがとう、助かった、
は本当の助かったではない。目先の難題を取っ払ってくれてありがとう
なのだ。
ありがとうと言われた人は、「気の毒な人」の目の前に再び困難が現れたらまた取り払ってあげるのか?
そして一生取り払い続けられるのか?

途中で放り出してしまっては無責任だ。

「気の毒な人」を依存させて「気の毒な人」のままにさせているのにいきなり手放してしまえばその人はどうしたらいいのか困ってしまうだろう。

心底の感謝はその人が気がついて自分で動けるよう働きかける考え方を教え込むこと。

相手の問題を自分が肩代わりしてしまってはいけない。
そして何を言っても出来ない言い訳をしてする人はそこまでの人。
それ以上は相手にしないことだ。
相手にして、エネルギーを吸いとられても自分はいい人にみられたいならヘトヘトになりながら続ければいいと思う。

個人の自由だ。


本当に覚悟をするときは周囲からみられていい自分でいる必要もない。
本当に困っている人がいたなら
一体その人は何を困っているのか考えないとならない。
そしてなにができるのかそこを提案し、自分からやっていく方向に向かわせないとならない。

自分でやってみるという意識付け、やる前から出来ないといわない考え方を教えてあげればいいことなのだ。

(社)国際カウンセラー協会では認知行動学を取り入れた「セルフヒーリング」というコースを設置しております。

無意識でマイナス思考になりがちな方には考え方の視点を変えるよい勉強になります。

薬で症状を抑えるということではなく、前向きな考え方が出来るようになることで、こころが安定してきます。今「辛い」「苦しい」「悲しい」と落ち込んでいる考え方は全て自分が作っています。

無理せず前向きになれる講座でありながらレッスン中は非常に考えさせる講座なので毎回考えながら自分が変化していくと思います。

扉を探して!「からだの声翻訳家®」鶴木マキ

「からだの声翻訳家®」鶴木マキです! こころとからだは繋がっていて、こころの不調がからだに出るという考え方を学びました。 こころは不思議なものです。誰もどこにこころがあるのかはっきりと説明はできないけれど、こころは確かにあると、人は思っています。 こころの不思議さを私なりに考えて見つめていきたいと思っています。

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