なぜ嫌いな人がいるのか

国際カウンセラー協会でレッスンを受けています。


先日のレッスンで先生と話していて嫌いな上司の話になりました。

ポジティブシンキングを習っているというのに、マイナス思考が強い私はなかなかプラスに考えられないでした。

ただ何度も習ううちに、マイナス思考は負の連鎖しか生まず、自分のこころの状態が悪くなり、からだにも影響をもたらすものだということ。

マイナス思考とは自分が被害者で全て相手が悪い、相手のせいでこうなったということをいうこと。

これはなんの解決にもならず、そこまで分かっているのにその考え方が止められない、変えることができないでいると、自分で自分が嫌になってくる。

自分は頭で理解しているのに、なぜ感情は追いつけないのだろうと。

全てが頭で分かっていても、感情が追いつく速度は、どうやら一緒ではないのだなと感じている近頃。

そこで、自分を攻撃してしまう、ダメだししてしまうので、ますますよろしくない方向に行っていました。


さて、そんな私ですが、

上司に対して、仕事の上では冷静に対応できるのに、プライベートでは関わって欲しくない。私のプライベートに触れられると、どうしてもイライラして嫌なんです。

と思っていた。

そんな人のことでイライラして胃を痛めていると病気になるよ

と言われ、それも分かっているのに変われないんです。

と言っていた。


そして、その時私を変える一言が発せられました!


そんなにいうなんて、実は好きの裏返しなのよ



ギャー!!絶対にそれはいやー!!


と思った訳だが、ハタと気がついたのです。

人は自分の中にあって、あえて出すことがはばかれると抑えて出さない自分というものが存在します。

しかし他者の中で、その自分の抑えている部分をみたとき、激しく拒絶するのだと思うのです。

反発する気持ちが生じるというのは、相手の中に自分のもつ嫌な部分をみるから。


そう気がついたら、

あぁ、かわいそうに、この人はまだ気がつかないのだ。私はこの嫌なところを表に出していたとき孤独であった。

誰も私の相手をしてくれないと思っていた。それだけど、どうしてそうなのか分からなかった。

そうして自分を守るために人を下に見て攻撃していた。


嫌いな上司はまさに私だと思いました。

自分に同じところがない場合は、

まぁいいか。こんな人ほっとけば。嫌われているのに気がつかないのだもの。ずっとそうしていればいい。そう思ったら平気になりました。(これ同じ職場の人の談)


そうだと思うのですが、自分の中の出さない部分を相手に認めるとどうしても反発してしまう。そういう風に人間できているのではないかと今思っています。

ですが、これに気がつくと、相手を気の毒にさえ思えるようになります。

今朝は自分から、仕事の延長ではありますが、自然と雑談を話しかけていました。

可哀想に、話に付き合ってやろう、職場全体が円滑にもなるし。

そう思えるようになりました。

(私と上司の間がギスギスしているのは周囲も知っていることです。でもそれは傍からみても嫌な気持ちにしかならないでしょう。それも分かって申し訳ないと思っていたのですが今までの私は自分の感情を態度にどうしても出ていました。)


たった一瞬で考え方が、態度が気持ちが変わった瞬間でした。


そして、こうしてひとつづつ、やりにくい環境を克服していくのも、精神性を高めていくために課題を神様が用意して与えてくれているんだな、とつくづく思ったのでした。

人が生きるのは、この精神性を高めていくためだと私は思っています。

今が辛いと感じている人は、それが精神性を高めていくチャンスだと思って欲しいなと思います。


精神性を高めるとはどんなことか。リーディングやセルフヒーリングの授業を通して学んでみませんか?

人は食べるために生きるのではなく、生きるために食べるのだ

と池田晶子が書いていましたが、あなたはどちらですか?

私も、食べるために生きているのではないと思っています。何よりも生きる方が先に来ているのです。どのように生きるか?何のために生まれたのか?

なぜ生かされているのか?

レッスンを続けるうちにみえてくる様な気がします。







扉を探して!「からだの声翻訳家®」鶴木マキ

「からだの声翻訳家®」鶴木マキです! こころとからだは繋がっていて、こころの不調がからだに出るという考え方を学びました。 こころは不思議なものです。誰もどこにこころがあるのかはっきりと説明はできないけれど、こころは確かにあると、人は思っています。 こころの不思議さを私なりに考えて見つめていきたいと思っています。

0コメント

  • 1000 / 1000