キリンと眉間

本日は以前通っていたエッセイ教室のみんなと会いました。

昨年末で講座が一区切りして、次の先生による講座が始まりましたが、私はまだ出席できていず、同じく講座をとっている仲間によるとまぁ、だいぶ雰囲気が変わっているとのこと。


前回までは休んだとて通信講座的な部分があり先生によるペン入れがあったりして提出して先生からお手紙を頂いているようであったけれど、今回は先生からは感想程度のコメントがあり、どうやら講座に参加しないともったいないらしい。


そうは言っても書かないと今より稚拙になってしまうし、ブログで書くことと、先生を読者と想定して書くことは明らかに違う。


私はリーディングやからだの声のことをエッセイ風に書いていきたい。だからお題がそれに向くものはどんどんその方向に持って行きたいと思う。


さて、今日もリーディングでのもののエネルギーの話をできた。

周囲はどう思ってもいいやと思う。私がこういうことをしているひとだというのは、もうみんな知っていてくれる方が楽でいいから。

キリンのおおきなぬいぐるみをご持参された方がいた。

キリンは「さびしい」エネルギーがある。

彼の人はとても寂しいのだろう、講座がなくなり。持参するくらいそれを表している。

キリンが首が長いのも「首を長くして待っています」との意味で、そう前に出て言ったら

「うまいこというね」

と言われたが、エネルギーでそうあるだけで、それを選んで持ってくる時はやっぱりその人の中にそれに近いエネルギーがあるのだろう。

あの大きな目と長いまつ毛…。寂しげで泣きそうな顔である。


そういえば、他の方と話していておでこのあたりがカサカサするという話がでていたので、帰宅後「からだの声翻訳」の教科書を取り出した。


おでこの意味。そうであった。ここはサードアイのある場所。思考の部分でもあり、おでこは隠すより上げた方がいいと言っていたような……。

そしてそれに近い眉間。まさにこの部分がかゆいと言っていた。

眉間にはセンサーがあって人との距離をとっているのだけど、そこがうまくいっていないということを表している。

ひととの距離感が大切なんだがやりすぎてしまったり、やめる時が分からなかったり。


そうその人は、サービス精神旺盛な人であった。それはそれでいいのではないかと思うのだが、私達とだけでなく、他の場面でもきっとそういう人なんだろう。

今日は痒がってなかったから、周りもその人に感謝すれどやり過ぎだとは思っていなかったのだと思う。

そういう注意があったときは、少し控えめにするのがいいのかもしれない。



扉を探して!「からだの声翻訳家®」鶴木マキ

「からだの声翻訳家®」鶴木マキです! こころとからだは繋がっていて、こころの不調がからだに出るという考え方を学びました。 こころは不思議なものです。誰もどこにこころがあるのかはっきりと説明はできないけれど、こころは確かにあると、人は思っています。 こころの不思議さを私なりに考えて見つめていきたいと思っています。

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